「足利尊氏」、「豐臣秀吉」、「德川家康」などの愛山の歴史書は、近年岩波文庫で復刻版が出されてゐますが、
いづれも文語文で記されてをり、現代の讀者にとつてさう取附易いものではありません。しかし、「伊達騷動記」は、
云はば裃を脱いだ座談調の口語文で書かれてをり、それだけに、坂本多加雄が「山路愛山」(吉川弘文館)に於て指摘する、
愛山の「率直にして快活、そして開放的な人柄と、論理的かつ明晰な構造を持つた思考過程」が、
その魅力的な語り口を通じて實に親しみ易く生き生きと傳はつて來ます。さういふ點、
この本は愛山の歴史書に親しむよい切掛となる事でせう。
また、伊達騷動と云へば、原田甲斐を主人公とする、山本周五郎の長編小説「樅の木は殘つた」が
世上何と云つても有名であり、伊達騷動についての一般的印象を今もかなり強く規定してゐるやうですが、
愛山のこの本には、それとは全く異る伊達騷動の眞實が描かれてゐます。寛文年間といふ、
四代將軍德川家綱の時代の、江戸幕府確立期に於ける仙臺藩の武士達の、
悲しくも實に見事な生き方が信頼し得る史料に基いて活寫されてをり、そこでは、
周五郎がなぜかやたらに持上げる原田甲斐は甚だ凡庸な傀儡でしかなく、他方、伊東七十郎や伊達安藝等、
伊達騷動の眞の立役者達は然るべき評價を與へられてをり、德川時代の武士なる存在について、
或は幕藩體制下の現實の種々相について、教へられる點が頗る多いのみならず、
何よりも讀んで滅法面白い本です。
なほ、敬文館版は誤植が甚しく多いので、目に止まつた限りは修正しました。
また、出來るだけ註を附すと共に、句讀點にもある程度手を入れて、讀者の便宜を圖りました。
「伊達騷動記」 目次
第二十七章、境論(一)
第二十八章、境論(二)
第二十九章、境論(三)
第三十章、境論(四)
第三十一章、論地一轉して全體の政治問題となる
第三十二章、天下の形勢廟堂の風色(一)
第三十三章、天下の形勢廟堂の風色(二)
第三十四章、論地一轉して公けの問題となる
第三十五章、石水和尚
第三十六章、安藝江戸に着す(一)
第三十七章、安藝江戸に着す(二)
第三十八章、大老酒井忠清の事
第三十九章、八箇條の罪狀
第四十章、審問
第四十一章、偽書の事
第四十二章、古内の參府
第四十三章、終局